ウゴガベ

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20210828日記

アイマス

SideM

THE IDOLM@STER SideM 3rdLIVE TOURの静岡ブルーレイday2を観た。サプライズ人事(語弊)も楽しめたし、桜庭薫ソロや山下次郎ソロなど、音源以上の魅力を見せつけてくる場面がいくつもあった。ライブ独自要素を抜きにしても、SideMの楽曲は音源だとマスタリングが本当にひどく、どんな曲ものっぺりとしているので基本的にライブのほうが良い。最近のFIVE STAR!!!!!楽曲は、765的音作りで男性陣の声が聞ける貴重な機会。

 

シャニマス

 テレビの企画で出家体験する的な……?どうなるんだろう。

 

3000

 「社会的包摂」がなされるときの欺瞞性、マウンティング性をものすごく鋭く言葉にしている。仕事柄、企業の経営者がCSR!だのSDGs!だの叫ぶなかで社会的包摂にも言及するのを聞く機会が多く、「それってマジョリティの傲慢だよな」と思う機会はこれまでもしばしばあったけれど、整理された他人の言葉から考える機会があまりなかったので読めてよかった。

……んだけど、終盤にひとつ引っかかるところがあった。

あなたがどんなに仲良くしてる相手でも、好きな相手でも、息を吐くように差別しているのがデフォルトで、それを理解したとしてもなお、あなたはその人を孤独にし続けるんです。やさしくしたいなら、それくらいわかってやさしくしてください。

引用元:http://www.webchikuma.jp/articles/-/2521

 厳しい言い方だけどそうだと思う。無意識の差別が内在化されていることを認めることは重要だ。

ただ、それを踏まえるなら、

あなたは、目の前の友達がもしかしたらマイノリティで最初から傷ついているかもしれないと、そんなふうに構えて接する必要はありません。そんなことをはじめから想定しないから、あなたは友達とキラキラした関係性を結ぶことができます。あなたはいつも差別があるままに他者と繋がり合う世界に生きているんです。

引用元:http://www.webchikuma.jp/articles/-/2521

 これは欺瞞じゃないか。自分や他人、あらゆる人の中に差別があることを意識しながらも、それが他人に向いている可能性については想定せずに生きていくことって、可能ですか?私は不可能だと思うし、想定して生きるならば、筆者の考えでいくと「キラキラした関係性を結ぶこと」も不可能だ。

この連載を読むような聡明な青少年(タイトルが「十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス」なんです)相手なら、こんなおためごかし書かないでほしかったな、と思う。これを不幸にも/幸運にも読んでしまったマジョリティ青少年の未来からは「キラキラした関係性」の可能性がほぼ失われ、これから他者を見る目が決定的に変わってしまうのだと、その代わりに、どこまでも正解がなく辛いけれど"誠実なレイシスト"としての人生を生きるヒントを得たのだと、その姿勢を中途半端にしないでほしかった。

著作を読めばもっと深く背景がわかるのかもしれないけど、探した限りは育児者向けのものと旅行記のみ。うーん……。

 

ドラマ

「ザ・ハイスクールヒーローズ」で、生身の状態で魔人に腹パンされまくったヒーローが、血反吐を吐いて這いつくばりながら「俺たち、よく生きてるな……」と言っていた。「やられてる本人たちもやっぱりそう思うんだ……」と思った。