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いわゆる「年ベス」記事をメタルを中心に書いたのでよろしければぜひ。体系的なdigやフェイバリットミュージシャンの人脈フォローができてないことによるばらつき(良くも悪くも)が出ている。
雑記(時系列ばらばら)
M-1はエバースのネタもう一本観たかったな。前回の敗者復活戦のネタ(合コンとケンタウロスみたいなやつ)すごく好きだったので。
嫌いなコンテンツなのだが用事があって「令和の虎」をいくつか観た。
で、これがものすごく怖かった。「子どもから料金をもらって親に詐欺電話のフリをして電話をかけ、『あなたの親は振り込め詐欺(ドッキリ)に引っかかったかどうか』を教えてあげる防犯サービス」のプレゼンなのだが、前半でうっすら感じる違和感を司会者が24:00あたりで言語化し、話が急転直下。サムネで予想できる人も多そうだがこの瞬間の怖さは是非動画を見てほしい。一流のサスペンスホラーだ。
Slay The Spireにドハマリ中だがサイレント以外で全然心臓に勝てない。
正月に『伝説巨神イデオン』の劇場版が期間限定公開されていたので観た。だいぶ前にTV版を観たっきりで最終話に絶句した記憶があるが、劇場版はそれ以上の凄さだ。人類、バッフクラン人ともに未来を子どもたちに託せずバッドエンドを迎える物語は純然たる悲劇のはずだが、最後に霊体となった彼らが語らう雰囲気は「友人たち数名で遊んでいたゲームでトゥルーエンドに到達できずゲームオーバーになったあと、友人たちが語り合っている」という雰囲気がありどこか牧歌的。物語としても実際にメシアに期待し新しい人類史に向かうエンディングなわけで、個々の肉体は苦しんで死んだかもしれないが、肉体がなくなってしまえば「いやーやっちゃったね(笑)」と和解できるのではないかという人類の魂への期待も込められているように見える、不思議な作品だ。TV版より残酷なのにTV版より優しい。
年末はいい酒といい天ぷらを食べた。ここ数年西日本への出張がとにかく多いのだが、どうしても日本酒は東日本、というより新潟と東北のものが好きだ。明らかに未成年の頃に育まれた味覚の影響がある気がする。
ハードコア、D−beatって感じの愚劣で苛烈な地酒とともにちょっと良い天ぷらをキメる夜 pic.twitter.com/cKkSjN429z
— ugogg (@ugogg) 2024年12月28日
ジョジョ9部「JOJOLands」が面白い。主人公たちが金持ちになりたい半グレ少年たちという、好感から距離のあるメンバー=いつ死んでもおかしくないのでハラハラしている。最新刊の敵ボビー捜査官の能力「グローリー・デイズ」が渋くてかっこいい。自分の中から出た弾丸を"遅くする"だけの能力。これと普通のサイレンサー付き拳銃を使って「自動ドアの前に銃弾の壁」「トイレの個室を同時に攻撃」「通常の銃撃と動かない銃弾の波状攻撃」など、インフレしていないバトルだからこそ脅威になる工夫をこらした暗殺を仕掛ける。それに対抗するジョディオの「重い雨を降らせる」もかっこいい。
Ben Frostの2024年作の良さが全然わからなかった、細かく言うと良さを分かれそうな音像をしているのに好きになれなかったんだけど、色んな人の年間ベストやよろすず氏の解説などをみてこの作品が何をやっているのかがかろうじてわかり、自分がこの作品を苦手としている理由――ひとことで言えば、自分がクリシェも含めてメタルの魅力だと感じており、そこを分解するくらいなら一切メタルでない方が良いと考えているところ、本作はメタルの解体と洗練された再構築を志向しており、自分の好みの正反対を意図的に緻密に追求しているということ――が理解できて勉強になった。
衣類のバリエーションが本当に無い人間なので、今月初めてセーターを着たらよく伸びるし見た目以上に温かいしですごく感動した。もしかしていろいろな服にいろいろな見た目や機能があり、それらを使いこなすことで物心両面で充実の日々が送れるのか?
年末年始は実家に帰省。紅白を見て、おせちと餅食って、駅伝の時間帯にブックオフに行って、帰るといういつものパターン。
私が今住んでいる地域はいわゆる「そばどころ」だが地元、特に実家は蕎麦へのこだわりが弱く年越し蕎麦の不味さには辟易していたのだが、さすがに我慢ならなくなり昨年から蕎麦はこちらで調達することにしている。ローカルネタを言うと「庄司屋」の生蕎麦。地元の蕎麦とは段違いで旨い。
紅白は特別何か言うことはない。
初詣は自宅の近所のかなり由緒のある神社へ。涅槃を模した古めかしい庭があるなど雰囲気がかなりよく、この神社があるという点でも引っ越してよかったという気持ちがある。
漫画『Thisコミュニケーション』
家族のすすめで読んだ。面白すぎる……。謎の怪物イペリットに人類が滅ぼされかけた時代、食事さえあればいいというサイコパス辣腕軍人デルウハが、残された人類の拠点の一つである飛騨の秘密基地に転がり込むとそこでは「死ぬと、死亡時から1時間分の記憶を失ってから再生する」という能力を持つミュータントの少女たち『ハントレス』がいた。デルウハは彼女らの指導官&指揮官となり、彼女らを都合よく殺害することで自分の失敗を帳消しにしてベストな教育と関係づくりを進めつつイペリットに立ち向かう、という、文字通り人の命をなんとも思っていない物語。
「人の命なんて所詮軽いものだ」という考えを表現するように人の命を軽視する露悪的な物語が嫌いなので敬遠していたのだが、ハントレスたちが生きてきたことで積み重なっていく感情や思い出を捨て去ることの重みがハントレスと読者に常にのしかかりつつ、それをなんとも思っていない当事者デルウハといういびつな構造が、倫理的にも戦略的にも常に緊張感があってすごく面白い。
主人公組全員の記憶と認識に相違と誤解があるまま突き進む物語はタイトル通りコミュニケーションというものの複雑さと表層性の2面性を表しているように見える(デルウハの最期なんか象徴的だ)し、赦しも断罪もない、ただ感情と企みと行動と認識という主観だけが並べられた構成(ハントレスの最後の復帰も言ってしまえば『世界の解釈』でしかない)は思想的なものを一切排除されているようでかなり異様だ。作者のコメント的にも描きたいシーン、描きたい理想の殺人鬼像が先行しているようだし。
そういう構造的面白さと、社会性の低い不死の少女集団と殺人鬼軍人のコンビ及び対立というバトル/サスペンスものとしての面白さが両立している。折に触れて読み返したい(読むたびにデルウハの所業と思考に乾いた笑いと吐き気が止まらないだろうが)。
千葉勝美『同性婚と司法』(岩波新書)
元最高裁判事の筆者が同性婚の具体的実現に向けて近年の判例、法解釈、海外の動向などを踏まえて述べる。筆者はおそらく同性婚賛成派だがあくまで「実現できるならこんな論理になるだろう」という立場を堅持。
日本国憲法の「二四条一項の"両性"をその趣旨から読み替えて両者と解釈」「パートナーシップ制度制定+二四条二項の"家族"保護の概念を同性パートナーに類推適用」など、おそらく最も実現性の高い2案を提案。特に後者は考えてもなかった理論だが次善の策として十分にアリだろう。
「米国の事例は前提が違う(州の自治尊重という前提が法治まで及んでいる)ので全面的には参考にできない」「一般規定である十三、十四条(人権規定)で話を進めない。特別規定の二四条が当然に優越する」など、闇雲に推進派の意見すべてを肯定するのではなくむしろ釘を刺す一面もある。「ネットのリベラルのノリはなんか嫌なんだけど同性婚自体は必要な気がする」くらいの人が読むのにも向いてるかもしれない。というか読んでほしい。そういう人が行動しなくても「同性婚は実際にできうることなのだ」と認識してこの社会で生きるというだけですばらしいことだと思うので。アメリカもあんな感じになっちゃってるし。
ただ、上述した「二四条一項の"両性"読み替え」論は本書にも記載のある通り、立法過程が何を意図しており社会変遷において硬性憲法どんな矛盾が生じているかという、解釈の論理構成がキモとなる。そこが浅ければ理解は求められないだろうし、仮に浅いまま改正ができてしまえば安易な解釈改憲の道を開き、九条などの建付けが危うくなりうることは留意が必要だろう。
映画『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』
見た。以下ネタバレ感想です。
1stガンダムの「もしシャア自らサイド7に潜入してガンダムの奪取に成功してしまったら」というif二次創作である前半("beginning")と事前に宣伝されていた本編(宇宙世紀0085年設定)の2部構成というサプライズ。
パンフレットによると前半はアバン程度にやる予定だったものを庵野が勝手に長大な脚本を書いたがためにあの長さになったらしく(オタクが……)、いかにも壮年の初代ガンダムマニア男性らしい整合性/ロマン/自己満足のせめぎあいがみられる。
初代ガンダム1&2話のリメイク的なカット(シン仮面ライダーのvs蜘蛛男みたいなノリ)を大量投入しつつ、
・功を焦るのがジーンでなくシャアなので奪取できてしまう(シャアがめっちゃ強いから)
・アムロやララァとの交流がない→ニュータイプとしてのコンプレックスが育まれない→ガンダムエアプの想像みたいな、自信と冷静さを併せ持つかっこいいシャアになる
・ジオンのNTトップクラスがシャアとシャリア・ブルになるので「正史でエルメスが運用したビットを搭載したシャアのガンダム&ブラウ・ブロ(設定上は"キケロガ")のバディ」がジオンのエースになる
など、大胆な前提を細やかな調整で実現させるという架空戦記の手付きっぽい整合性の取り方が楽しかった。
二次創作っぽい小ネタも面白かった。
・セイラさんがエースパイロット(こちらは今後活きそうな気もするが)
・この世界線でないと起こりえないワッケインvsドレンのソロモン戦
・ソロモン防衛戦でトクワンかデミトリー(ドクロマークヘルメットの人)らしき人が普通に頑張ってる
・テムレイ回路
・「真の狙いは○○か、やるな□□」やサイコミュが暴走して小惑星を動かす逆シャアオマージュ(というかbeginning全体がアムロがいない状態でのアクシズショックに至るRTAなのだが)
・ギャグ二次創作やファンの飲み会でさんざんコスられてきたビグザム量産成功
・そもそも前半の作画が完全にジ・オリジン系の安彦絵
とか。
衝撃的だったのはやはりシャリア・ブルの生存と大活躍。PVの時点で「壮年期のフリット・アスノみたいなおっさんいるな」とは思っていたが、まさかリメイクされたシャリア・ブルだとは。言われてみると初代のデザインを若干踏襲している。
原作だとザビ家の政争に翻弄されつつもララァにニュータイプの可能性を見出しシャアに未来を託してアムロに殺される不器用な職業軍人、そして小説版だとシャアと親交を深める人格者かつクスコ・アルの良き上司であり、アムロにギレン打倒を呼びかけようとするもソーラレイを見て発狂したアムロの誤射で死ぬ(運動を同志に託して死ぬ)人だったが、今回はシャアが生存しNTとして"刻が見え"たシャアの影を追い続ける呪いを背負ったおじさんになっている。
原作ではララァとアムロがマチュの言うところの「キラキラ」の中で"刻"を見て精神的交歓に至り、その精神的つながりを奥底では断ち切れないアムロと、おなじニュータイプでありながら深いところではつながれなかった劣等感を抱えたシャアが、ともにその影を最後まで追うことになる。
シャアがニュータイプとしてのコンプレックスから解き放たれその"刻"を自身で見る立場になった結果、呪われるのがシャリア・ブルという悲しい因果がファーストファンとしてはグッとくる。
後半の本編(?)はルール化されたMS戦にメインキャラが民間の少女2名に不思議な少年だったりと水星の魔女前半っぽい雰囲気を出しつつ、一年戦争後の裏社会を舞台にしたダークさと、マチュとシュウジのMAV戦闘から垣間見えるニュータイプ要素(表層的には超能力戦士、本質的には「分かり合う、分かってしまえるちから」)を深掘りする雰囲気が楽しみな、あくまでシリーズの第1話という感じ。ジークアクスの戦闘スタイルは今後どうなるのか読めず、サイコミュに危険性があるとか口があるとかの不穏な要素があるMSなので、エヴァの暴走みたいなこともするのだろうか。
後半の細かい描写で好きなのは、カムラン(そもそもカムランの登場も相当なサプライズだ)とシャリアが乗った車が走行中ちょいちょいドン……ドン……と鳴ること、及びシャリアの降車時に地方の車道のごとく白線がかすれた道路が映ることでサイド6の都市がスラムと隣り合わせの不十分なインフラであることを示したシーンとか。
マチュがいいキャラしてますね。「空は足の下にある」「本物の重力を知らない……本物の海も」などのセリフに表れるスペースコロニーで生きることの違和感を抱えた少女が、赤いガンダムを駆るシュウジ(この『赤い"彗星"』との出会いは「コロニー外の存在との出会い」のメタファーだろう)や、コロニー外からの流れ者と示唆されるニャアンとの出会いから日常を打破するようにガンダムに乗り込み公権力と戦うという、コッテコテの流れがアツい。米津玄師の今回の曲は正直全く好みじゃないが、こういうあまりにわかりやすい使われ方をされると本能的にちょっと好きになってしまう(後日聴き直したらやっぱり全然良くなかった)。
反面、いわゆる百合っぽい雰囲気をもくろんだであろう場面はあんまりぴんと来ない。神社のシーンの急にキラキラしたエフェクトとSEは『大怪獣のあとしまつ』のラブシーンみたいで明確に不快だったし、星街すいせいの曲も「なんか入ってきたな」以上の雰囲気はあまりない。シーンでかなりの有名人なんだしもうちょっと山場で使ってほしかったな。曲の良し悪しとかではなく「こちとらシャリア・ブルと本筋でワクワクしちゃってそれ以外ノイズなんじゃ」みたいな気持ちになってしまった。結局初戦もニャアンはスマホ越しに観てるだけのほぼ舞台装置であって戦うのはマチュとシュウジなわけだし。
「シャノンの薔薇の消失」「『根の国』『イフヤ(伊賦夜だとしたら≒黄泉平坂)』などどう考えても聖地や忌み地の概念がありそうな地名」「ジークアクスの隠された設定」など現時点でも気になる要素がちりばめられており、本放送が楽しみ。