ウゴガベ

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20220130日記

日記

買い出し、読書、DTM、たこ焼き。妻がたこ焼きの総裁をしていたのだが、初めてとは思えないくらい見た目も味も完璧で嫉妬してしまった。許せない。

 

小坂井敏晶『増補 責任という虚構』について

あまりに自分のイデオロギーに都合の良すぎる内容の本だったのでかえって不安になってしまい、批判や悪口を検索しまくっていた。
リベット実験の解釈についての批判がいくつか見受けられたので、その中でも特に評価の高そうな國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読んでみようかな。しかし少し脳が疲れたので、もうちょっと俗っぽいものを読んで脳を回復させてから。

なお、リベット実験関連以外の批判としてまとまった文章は下記のnoteを見つけた。

note.com

筆者である山口氏の主張は簡単に言うと以下の内容にまとめられる。

1.「論じる」「語る」「書籍を出版する」という、これ以上ないほどに主体性・責任の伴う行為をしているではないか。

2.「自由意志はないと考えるべきだ」という考えも「べき論」だ。「~べき」という言葉は個人の主体を認めなければ使える言葉ではない。

しかし、かなり誤読というか、論点ずらしというか、良くない態度の文章だ。

1.書籍を読めば分かる通り、そもそも

一般に自由意志・責任・主体は行為の前提だと言える。そして、この前提なしに、〈本を公刊する〉という行為をおこなうことはできない。

という、「意志があって行動がある」という因果関係を否定しているのが本書である(本当に読んだのか?)。「一般に」そうであっても本質的には違うのだと何百ページも書いているのに……。
小坂井氏の主張を援用すれば「自分が本を書くこと」「自分がそういった題材に興味を持つこと」その他すべては外部環境の磁場によって作られた、自由意志とは全く無関係な現象ということになる。1.の主張をするためには、そもそも本書の内容が全て間違っている、と主張することが前提になる。

2.山口氏のいうような「~べき」という内容の本ではない(本当に読んだのか?)。「偶数同士/奇数同士の和は偶数になる」というような「このような条件のとき論理的には〇〇という結論に帰結する」という趣旨の、人間と分離している文章を「学者は〇〇と考えるべきだ」という、それこそ小坂井氏が否定している規範論に誤読しているに過ぎない。

まあそんな感じなんだけど、個人的には、なんか、こう……それに加えて「論理は認めるがお前の態度が気に食わない(上月澪のAA)」みたいな感情が先走っている印象も否めない。「内容は真理だけど作者の態度は変ですよ」という内容のはずが、こうして紐解くと「内容は真理」と考えるならば到底ありえない理屈で書かれた文章になっているので。
憶測ですよ~~~~~~~~~~

 

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