ウゴガベ

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20220129日記

日記

読書、掃除、運動、散髪、その他諸々。いつもはなにかに急き立てられるように日曜日に詰め込みがちな行為を土曜日に出来たので満足。

 

小坂井敏晶『増補 責任という虚構』

読んだ。とても面白い。文庫化にあたって追記されている「補考 近代の原罪」は後日読む。
膨大な先行研究の引用(ホロコースト研究、ミルグラム実験、死刑存廃論争、社会契約論……)を下敷きに、本書は人間の自由意志、自己責任を虚構とみなす。むしろ行為の意味付けに意思があとづけされ、権利義務の履行・刑罰の執行のつじつま合わせのために自己責任が規定されると主張する。要するに社会秩序が運用される根拠は因果論ではないという立場を取る。
この主張をさらに深めていく中で本書は、社会秩序(法律や道徳など)とはそもそも根拠に基づいて定められてきたのではなく、人間集団の行為が自律/外部化したものにすぎないと結論づける。それはつまり、「神の死」によって秩序の根拠としての神が役割を終えたあとも、社会秩序は社会の中にいることが出来ずに外部化され続けてきたということでもある。

根拠という名の虚構。それは人間世界を根底から規定する論理構造だ。[中略]共同体の<外部>に投影されるブラックボックスを援用せずには社会秩序を根拠付けられない。社会秩序は自己の内部に根拠を持ちえず、<外部>虚構に支えられなければ成立しない。(p343-344)

その上で、本書はニヒリズムに着地しない。かといって「真の自由意志」といったお為ごかしにも向かわない。
DNAの研究が日進月歩で進む中で虚構となったはずの「生命」を我々がいまだ尊重するように、多様な人間それぞれが正気で生きていく重要な概念として「虚構」を位置づける。目の錯覚だとわかっていても静止画が動画に見えるように我々はその虚構を尊重して生きていく。虚構である以上、人間が責任感を持ってどうこうしたところで社会秩序の形までコントロールすることは出来ない。普通の人が出生地と歴史のせいでホロコーストに加担したり、人命をなによりも尊重する考えは同じでも死刑制度については正反対の意見になったりするように。しかし著者は、秩序が変化するということ自体に、二度とホロコーストが起こらないような社会が生まれうる可能性を見る。

集団現象が我々の意思から遊離する以上、人間の努力や思想がよりよい未来を築くかどうかは誰にもわからない。[中略]それでも人間の行動や思考は必ず世界を変革する。(p386)

ただし、「虚構は虚構でどうしようもないんだし、より良い虚構づくりを頑張っていきましょーや」という立場でもなく、そういった雑な規範論の一種に取り込まれずに考えていきたい、というスタンスも表明されている。

――ということで、「この世界でわたしたちはどう生きるべきなのか?」という問いに答える本ではなく、むしろ世界のありようについてひたすら突き詰めて「いやーマジで社会の常識って論理的に間違ってるし、学者の言ってることも感情論を軽視し過ぎだし、かといって突き詰めても正解が出るわけじゃないし難しいっすね!!」という内容なんだけど、論考としてめちゃくちゃ面白いし、後半の「贈与」の論考や上の引用部など、人間の善性についてその根拠も影響も否定しながらも、ただ善性そのものを愛するような文章にぬくもりを感じた。

本書の丁寧な論証の素晴らしさについてうまく説明できない。読んでくれ!!!