音読
昔から学習行為としての音読が苦手で、黙読したほうが内容が頭に入る質である。音読していると脳のリソースがかなり発声の方に割かれてしまい、文の意味を読み解く余裕がなくなっていく。結局あとで黙読し直して内容を知る。
対して黙読するときは、音読する際の発声アクセント等も考えながら内容を読めてしまう。何なら頭の中では音読している。
私にとって黙読と音読は対極ではない。"読む"=黙読であり、音読とは読む行為に発声という不必要な運動を挟んでいるという捉え方だ。本人が運動の方を心底無意味だと思っている点で、シャニマスで言うところの「ダンベル君主論」とは異なる。
水筒
水分補給が節税よりも大好きなので、仕事にはサッカー部の中学生が持つような1.5Lサイズの水筒(ワンタッチで蓋が開くやつ)を持ち歩いている。バカでかい上に重いのだが、車通勤なのであまり支障はない。
ただ今日、急に1Lで良くない?という気がしてきた。思い返せば、毎日退社する頃には水筒にそこそこの量の麦茶がまだ残っており、無理にがぶ飲みしながら帰宅しているのだ。サイズもやや問題で、1.5Lの水筒はでかすぎてバッグに入れるとキャップがひょっこりと顔を出すのもみっともない。1Lサイズだとかなり社会人らしいデザインのものも多いし…
ぼくのともだち
偏見とレッテルにまみれた話ししてもいいですか!?!?!?!?!?!?いいよ!!!!!!!!!!!!
時折こういう人を見かける。飲み会を例に説明したい。
A「今日の飲み会、どうせCは来ないんだろ?」
B「いや、今日は来るってさ。珍しいよな」
A「やっぱりな。あいつはいつも付き合いが悪くて…」
B「え?いや、来るってば」
A「え?……ああ、来るのか。ふうん」
このAのように、自分の中で他人に対する決めつけが強すぎて、脳内のBを自分の想像通りに喋らせて、それに返事をしている、という人。ドリアン戦の愚地独歩とはわけが違うので、違和感ですぐ我に返っているようなのだけれど、こういう人と話すたびに他人の見えている世界が不安になるし、自分もそういうところがあって、気づかないまま今日まで生きているのだとしたらどうしよう、という強い恐怖がある。
あと、自分が直接会った限りでは、このタイプの人は殆どが業種を問わない中小零細ブラック企業の幹部か役員なのである。それも不思議。
イベント「アイムベリーベリーソーリー」について。あらすじ読む限り事前情報で感じていたほど薄暗い内容ではないっぽいけど、ちょっと疲労が溜まっているのでプレイは明日以降。